好奇心は猫を殺すの?ミルトン先生教えてくれ~~~
最近興味あるBIG3
・好奇心
・立体と平面
・視点
このうち、まず好奇心(そもそも定義が難しいけど…)について考える
好奇心は「○○を知りたい」という気持ちだ。
どうして知りたいという気持ちが生まれるのだろう?
それは、知りたいと思うことで人が快感覚を得られるからじゃないかと思う。
まずは「文字が読めるようになりたい」と思うだけでも既に快感を得ているのだと思う。(その後思うように読めるようにならなかったら不快になるだろうけど、まったくはじめの段階では快感覚だと思う)
次に、実際に文字が読めるようになると、やはりうれしくなる。
好奇心が満たされて快感が発生する。
さらに、次の好奇心へとつながる。
字が読めるようになってうれしい
→今度はもっと難しい文章も読んでみたい。そうすればまたうれしくなるだろう
→外国語を読んでみたい。そうすればまたうれしくなるだろう
→今度は文字を書けるようになりたい。そうすればまたうれしくなるだろう
好奇心は人間の行動を促すエンジンなのでは?
好奇心が人間の行動を促すエンジンだと考えると好奇心はとても良いもののように思えてくる。
けれど、好奇心に従って行動した結果として苦しい現実が待っている可能性もある。
好奇心は猫を殺すのか??
好奇心が悲しい結果をもたらすと思われる例を考えてみた。
例えば
SFチックだけれど、コンピューターを好奇心の赴くままに進化させれば人間が支配されるかもしれないと。
(これに関しては何とかなるんじゃないかと根拠もなく無責任に思っている)
好奇心の赴くままに行動した結果、知らないほうが良かった事実を知ってしまって深く傷つくこともあるかもしれない。
憧れの人をストーカーしていたら実は自分の家族を殺した犯人であるとわかったとか。
(この例はちょっと倫理的に問題ありすぎるかも)
嫌いな授業をさぼって好きなことをしたら単位を落とすとか
(あれ?身近になりすぎ?というか好奇心と煩悩・欲望が混ざってる??)
別枠=====================================
あれ、そもそも好奇心と欲望はちがうのか~~~??
わたしは好奇心は欲望の一部に含まれると思う。
よく知的好奇心とそうでない好奇心に分けられることもあるが、これは区別しないと不便な状況において便宜的に区別するだけであって、本当は一緒の範疇に属するんじゃないかと思う(けどちょっと自信がない)。
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好奇心を優先させると悲しいことが起きるかもしれない話に戻る。
さっきの例のように、好奇心だけを優先させていると、不幸な結果を招いてしまうこともあるのでは??
そこで登場するのが理性じゃないかと思った
好奇心の暴走を理性でもって抑制するのだ!
・・・・・・けど、理性は神様ではない。
理性は神様ではないから万能ではない。
あくまで合理的に「確かに好奇心を優先させれば一時的に快感を得ることが出来るかもしれないけれど、それにより不幸なことが将来起これば、帳消しにするような不快感がうまれるだろう」と予測する機械みたいなものだと思う。理性はコンピューターだ。
理性はコンピューターはコンピューターでも、人工知能タイプのコンピューターだから生活の中でどんどん「より自分を快に導くことが出来る法則」を見つけ出してシステムにインプットしていく。
それでも理性はどこまでいっても神様にはなれないから、やはり完全な予測の法則を見つけることはできない。
理性による予測の失敗なんて、とてもよくあることだ!
ここで気になるのが
アダムとイヴの禁断の果実の話
ロジャー・シャタック『禁断の知識(下)』P.117から引用
ミルトンは(略)最初は罪に至るかもしれないが、後には叡智と救いに至る行動を示している。(略)しかしミルトンは知識に限界を定めるべきだとも考えていた。だからこそミルトンは大天使ラファエルに、経験と知識を拒絶してはならないが限度を知れ、「低い分際をわきまえて、賢くあれ」(第八巻、一七三)とアダムを明確に戒めさせているのだ。
ミルトンは際限なく知識を求めることを戒めた。
何でもお腹一杯食べればいいというものではない。
好奇心は欲望なのだから、欲望には限度が必要なのである。
さいごに、
好奇心に従って行動した末に知識は得られる。知識に至るためには行動が大切なのであり、好奇心を抱くことだけでは知識までには至らない。
理性は行動を抑制する役割を持つものであり、好奇心が沸き上がること自体を拒絶することはできない。
※行動には精神の行動(=思考)も含まれるのかどうかについても考えたいけど(私は多分含まれると思う)、時間の関係もあるし、ラファエルの言うように「低い分際を弁えて」、今日はやめておく。。。